今日は古本の話題から外れて、最近感じたことなどをひとくだり。
さて、やれパソコンだ、ITだと世の中が大騒ぎしていたのは、もう10年以上も前のことになるのだろうか。
いまや時代はパソコンどころではなく、やれスマートフォンだ、タブレットだとやらを持ち歩かなければなりません的な時代になった様なのである。
かくゆう自分も、既にスマートフォンを持ち歩き始め、はや一年と数ヶ月を数えるに至っているのである。
先日、所用により東京に出掛けた時なども、いまだ北陸新幹線開通も先のこととて長時間を過ごす電車の中において、これほど重宝なものは無いなとつくづくと感じ入った次第なのある。
兎に角もこれ一台ぶら下げていれば、メールチェックやWebブラウジングは云うまでも無く、暇潰しにゲームなんぞも出来るし、近隣にお喋りな乗客でも乗り合わせることになれば、音楽プレーヤーとしてイヤフォンで両の耳を塞ぎ、耳障りな世間話などをスルーすることだってお茶の子さいさいなのである。
久々の東京に着いてしまえば、昼に何を食べようかなどと思い悩んでも、マップに付近のグルメスポットを表示させ、和食、フレンチ、イタリアン、中華にエスニックとなんでもござれ。
宿泊先への道順だってスムーズにご案内、途中に面白い光景でも見付けようものなら、内蔵のカメラでパチリと撮って、ツイッターやらFacebookに投稿して地元の友人とコミュニケーションを楽しむことなんかも出来る訳である。
でもね、こんなにどっぷりとスマートフォンに依存している自分でも、東京都内の電車に乗っている時に、一寸ぞっとする光景を目にしてしまったんだ。
それは何かと云えば、電車に乗っているかなりの部分の人々が、黙々と携帯電話やスマートフォンを操作しているところが眼に入ってしまうというもので、田舎暮らしで普段通勤で公共交通を利用したりしない自分にはやはりどこか馴染めない光景なのであった。
と云う訳で、帰路はスマートフォンを胸ポケットにしまい込み、東京駅でしこたま買い込んだビールやらツマミやらを嗜みつつ、車窓を流れる風景に眼をやりながらの旅路を楽しんだ訳である。
ああ、でもタブレットも欲しい。
だってスマートフォンの画面は小さすぎて老眼の進みつつある我々年代には辛いんだもん。
だが待てよ、そういえば先立つものも無いし、やっぱり使い慣れたノートパソコンが一番手に馴染むだよなぁなどと、ロートルは溜息雑じりに呟くのであった。
おしまい。